上の絵は、故・長縄えい子さんが描いて下さった私が演奏している様子です。
長縄えい子画伯は、エッセイも執筆なさっていました。
上の画像は、長縄さんのエッセイ集『老婆は一日にして成らず』です。
このエッセイの中に、私のエピソードが綴られています。
今回、出版元のたけしま出版様のご協力で、この長縄さんのエッセイを掲載する特別な許可を頂戴しました。
こちらで、長縄さんのエッセイ、『雪の降る音』をご紹介します。
長縄えい子さんのエッセイ
一月、我孫子市の全国公募「めるへん文庫」の授賞式で、私は審査員として”聴く文化”の話をした。
聴く文化は、見るという文化よりも、ずっと感性が要求される。
外国では、虫の声を芸術にまで高めるという話は聞かない。
ところが、日本人は「あれ、マツムシが鳴いている・・・」という子どもの文化圏にまで沁みるわたっている。
日本人の感性が、どこの国よりも細やかではなかろうか、大いにこの感性を作品に生かして欲しいという内容の話である。
その月の半ば、音楽一家の児玉さんという友人の家の新年会に招かれた。
ここの家の新年会には、もちろん小演奏会がある。
この日は、チェロとピアノのジョイント演奏であった。
どちらも若々しいすてきな音楽家である。
チェリストの佐藤智孝さんは、東北の育ちだという。
東北の冬は雪の中である。
暗い夜の色の中を、白い雪がしんしんと降る。
その音が彼は聞こえるそうだ。
ふつうの人には聞こえない音を、確かに聞く事が出来るということを、私は彼の演奏を聴いてわかった。
フォーレの曲の最後で、彼の指先から伝わってくる震えるようなかすかな弦の音。
聞こえていない。
音は出ていない。
それでも、聞こえてくるような気がして。
ああ、これが雪の降る音が聞こえるということなのだと、少し人間が上等になった思いがした。
雪の降る音について
宮城県は仙台市、広瀬川のほとりで生まれ育ったワタクシ・・・
私が住んでいた家のすぐ裏には、広瀬川が流れていました。
そして、私が子供の頃の冬は、広瀬川が氷り、その氷面を歩いて渡れる程に凍結したものでした。
また、私が子供の頃は、庭で雪だるまやかまくらが作れる程に大雪が降り、雪も積もりました。
因みに、冬生まれのワタクシ・・・私が生まれた日も、大雪だったそうです。
これは、雪国の皆さんならお解り頂けるかと思うのですが、雪の降った朝、雪が積もった日の朝というのは、もの凄い静けさなのです。
朝、目が覚めた時に、もの凄い静まりかえった閑かさを耳にすると、『あぁ、これは雪が積もったな・・・』と思い、そして布団の中にいると、その静寂の中に、ひとひらひとひら降る雪の音が聞こえたモノでした。
雪の日の朝は、布団の中で、夜の間に雪がつもっただけか、或いは今も雪が降っているかどうか、雪が降る音で解るのです。
『雪がしんしん』と言いますが、雪が降る音は静かさを増す様な本当に本当に閑かな音でした。
温暖化の影響で、我が故郷の広瀬川も凍る事が無くなり、庭でかまくらが造れる程に雪が積もる事も無くなってしまった様ですが・・・
そして、故郷で過ごした時間以上に、故郷以外で過ごした時間が長くなった私の耳に、今も雪の降る音が聴こえるかな・・・
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