私の大好きな作曲家、シューマン。その作品からは、彼の魂の叫び声が聞こえてくるようである。支離滅裂な曲の展開ながら、胸を突き刺すようなワンフレーズがぐっとくる。

その彼によるチェロのための作品、5つの民謡風小品。

楽譜の最初に彼はデカデカと、まるで曲のタイトルのように ”ヴァニタス ヴァニタトゥム” と書いている。

そして、1曲目の発想標語とし、小さく ”ユーモアを持って” と書いている。

”ヴァニタス ヴァニタトゥム” 独和辞典を引くと、”空の空なるかな” とある。この日本語を上手く説明できる人がいるだろうか? 

空の空なるかな、、、私を含めたたいていの人は何のコッチャであろう。

因みにM利伯郎先生(仮名)のレッスンの時、”先生、ヴァニタス ヴァニタトゥムって何ですか?”と質問すると、先生もご存知なかった。(後日、私の同級生ピアニスト、Dr.K早川女史が調べたヴァニタス~レポートを差し上げたから、今はご存知のはず。読んでいれば。。。忘れてなければ。。。) 
ドイツ人のシュバブ先生もこれを私に説明してくださった時、辞書を引いてらしたので、日常語ではないのであろう。

そして私はシュバブ先生が説明して下さったドイツ語が全然解らなかった。私のインチキドイツ語では全く理解出来ない難しい言葉なのである。

解らない事が顔に出てたのか、だんだん説明している先生がイライラしてきて、身の危険を感じた私は解ったふりをして弾きだしたが、”解っとらんー!”と怒られもしなかったので、ヴァニタス~を音楽にするのはもっと難しいと思われる。

この言葉、強いて言うなら ”虚しい” が正解である。と思う。(質問が有る方は、私ではなくピアニストのDr.小早川朗子女史<こばやかわときこ、実名>に問い合わせて下さい。

私の説明は全く信用できませんが、彼女はさすが博士、どんな事でも尤もらしく説明できます。

~小早川閣下への問い合わせの際の注意事項~

1、丁重に質問する(対策、時候の挨拶から入るべし)
2、機嫌のいい時に質問する(対策、猫を同伴させるべし)
3、研究室の窓から覗いて、不機嫌な顔して受話器を持ってる場合は入室しない(対策、一目散に逃亡すべし)
4.教えて頂いたら御礼を言う(対策、御礼状を出すべし、年賀状を出すと尚よし)
上記4つは必須

人生は例え良い事があったとしても、すぐ悪いことに遭遇してしまう。

そして最終的には ”死”が待っている。虚しい虚しい、ああ虚しい。。。といった意味。と博士が言ってました。

何やら絶望的な言葉である。。。(K早川女史に説明されたらますます絶望的な気分になった。)

”ヴァニタス ヴァニタトゥム” を調べていくうちに生きていくのが嫌になった、と遺書に書いて自殺してしまう真面目な人間がでてくるのでは、と心配にすらなってくる。

さらに、この呪いのような言葉をシューマンは楽譜の最初にデカデカと書いているのだ!

世界の共通語とか、自分の考えをどれだけ強く主張しても音楽は誰もキズつけない、と言われ、衣食住に関係無く、何の生産性も無いながらも、音楽は人を幸せにできると思っている真面目な音楽家(私の事?)は、この曲で何を伝えればよいのか悩むであろう。

純粋なチェリスト(私の事!)にいたっては、シューマンに会って彼を勇気ずけてあげたい!と遺書に書いて彼の下へ旅立ちはしないけど、ますます生産性の無い音楽に一人打ち込み、浮世から離れ、テレビも持たず、一人仙人のようになっていくであろう。

この ”ヴァニタス ヴァニタトゥム”、曲全体にかかるのか、あるいは1曲目だけなのか、解釈が別れるのだが、この意味を知った時、私は初めて曲順が理解できた。

それまで、何故華やかで堂々と終わる4曲目を最後にせず、暗く、中途半端ともいえる5曲目を最後に持ってきたのか不思議に思っていた。

事実、4曲目の完結したかの様な終わりにつられて大きな拍手、5曲目の後に、”あ、終わったの?”といった感じの拍手という事が何度かあり、今では本番前に、”4曲目終わって沢山拍手きたら笑顔で立ち上がって終わりにしよう” という冗談を言ったりしている。

この曲、1曲目と3曲目はメランコリック、5曲目は苦闘するような感じ、2曲目はどこまでも穏やかで美しく、そして4曲目は華やかな曲想になっている。

すなわち、暗ー美ー暗ー華ー暗といった感じで、まるでシューマンの人生のようである。通して聞くと、なんとなく悲観的な印象をうけるが、2曲目の美しさは聞く人を幸せにし、奏者にはこの美しさをチェロで演奏できる喜びを与えてくれる。

どんなに辛いことがあっても必ず良い事がある、と言ってるように聞こえ、癒される曲である。

チェロの魅力だけでなく、音楽に人生観を寄せたような哲学的?な曲で心の琴線をかき乱されたい!という人?にお勧めの逸品。

シューマン 5つの民謡風小品お勧めのCD

これは、まだ決定版がでていないかもしれない曲である。恩師シュバブ先生が、 ”この曲が弾ければ(正しく理解解釈できれば)シューマンは何でも弾ける”とおっしゃっていたが、それくらい解釈が難しい曲である。

因みにシュバブ先生、数え切れないほどシューマンの曲(協奏曲含め)演奏してきて、一度として思い道理に演奏できた事、満足した事無かったそうである。

どんなに”素晴らしかった!”とか、沢山の”ヴラヴォー”を貰っても、納得できなかったそうである。

私も人前で弾き終わると、”やっぱりな、今日もダメだった”と敗北感に包まれる。

私の場合はシューマンに限らず何を演奏してもだが。。。

さて、よく名盤とし、巨匠R氏のCDが紹介されることが多いのだが、R氏、この曲を5つの民謡風小品というより、5人の英雄列伝のように演奏なさっている・・・。

私の恩師M利先生も、学生時代にこのレコードを何度も聴いて、そして初めて楽譜を見た時、あまりにもR氏の演奏と楽譜の指示が違うので驚いたそうである。

そういう訳で、勧めるのが難しいのだが、それでもやはりロストロポーヴィチの録音は、名演奏だと思う。

そして、氏の高弟、ゲリンガスの一枚もお勧め。ゲリンガスの心を病んだような演奏と、彼独自の音(この音は彼にしかだせません)、

良い意味で華やかさが無いこの演奏、シューマンらしい演奏と言えるでしょう。

ダヴィッド グリゴリアン、日本では無名のチェリストだが、チャイコフスキーコンクール入賞者、ロストロポーヴィッチの弟子で、氏のアシスタントも務めていた。

彼の演奏は、思入れ深く、誠実感がありお勧め。因みにカプリング、ワックスマンのカルメンファンタジー(ヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ曲)は

ホンの僅か、最後のテンポに苦しいところがあるものの見事!

トゥルルス モルクの演奏は、素晴らしい美音に、彼独自のものながら共感できる解釈。

ただ、少々清潔すぎるため、私にはナルシスト的に聞こえるが、とにかく音がいいから惹きこまれる。

曲目解説

シューマン  5つの民謡風小品    
    
難波 研(作曲家)

ロベルト・シューマンは1810年6月8日にドイツのツヴィカウで生まれ、1856年7月29日にボン近郊の町エンデニヒで没した作曲家・音楽評論家。

ドイツロマン派を代表する作曲家であり、ほぼすべてのジャンルに作品を残したマルチな才能を持った作曲家であった。

シューマンは書籍商の父親のもと、四男一女の末子として生まれ幼い頃から音楽と文学に強い関心を示し、早くから作曲や小説の執筆を行っていた。1826年に父を亡くした後も芸術活動を続けるが、安定した生活を望む母の希望もありライプツィヒ大学で法律を学ぶ事になる。

しかし、音楽への情熱を捨てきる事が出来なかったシューマンは、ピアニストを目指して著名なピアノ教師であったフリードリヒ・ヴィークの門下生となり本格的に音楽家への道を歩み始める。だがそんな矢先、病気により指が動かなくなると言う事態に直面しピアニストの道を断念、作曲と評論で生きていく事を決意する。

それと同じ頃、師であるヴィークの娘クララとの恋愛関係が原因で、師弟関係が崩れはじめる。後にそれは法廷闘争にまで発展、1839年に結婚が認められ2人は無事に結婚したが、法廷闘争でのストレスの他に1840年迄の間に両親と兄弟3人を相次いで失った悲しみが、彼の精神に深い影を落としていた。

1840年迄の創作を振り返ると、交響曲への熱意を持ちながらも完成作品はピアノ曲に集中すると言う現象が見られる。これと同様に、1840年には歌曲を、1841年には交響曲を、1842年には室内楽曲を集中して発表している。

このような極端な一ジャンルへの集中が生み出す作曲技法の洗練には目覚ましいものがあり、このスタイルが彼の作曲家としての名声を高めていく切っ掛けにもなった。

1844年にドレスデンに移住し、ピアノ協奏曲等の充実した作品を発表するが、この時期から徐々に精神のバランスが崩れる兆候があらわれる。1850年にはデュッセルドルフの管弦楽団に音楽監督として招かれ、同地の明るい風光は彼に良い影響を与え、交響曲第3番やチェロ協奏曲等彼の代表作と呼ばれる名作を多数生み出すがそれも長くは続かず、1853年には元来の内向的な性格が元で楽団員との間に軋轢が生じ、音楽監督を辞任する事になった。

同じ年の9月、落胆するシューマンの元に若き日のブラームスが訪ねてくる。シューマンは彼が演奏する自作に触れ深く感動、その感動はシューマンに久々の評論を書かせ『新しい道』という表題でブラームスを絶賛、彼の明るい将来を予言した。若きブラームスの存在は、不遇の晩年を送るシューマンの唯一の希望の星であったと考えられる。

1854年に入ると青年期より患っていた梅毒が悪化、その苦しみから逃れるため同年2月27日にライン川に投身自殺を図るも失敗。その後精神病院に収容され、ほとんど面会謝絶状態の中病状は悪化。一度も回復する事なく、1856年7月29日に愛する妻クララに見取られながらこの世を去った。

激動の人生を送ったシューマンの音楽には、その人生と同じく非常にドラマティックで激しい感情の波が渦巻いている。そして、それまでのどの作曲家にも聴かれなかった彼独自の発想にあふれており、特に大胆な和声法とリズムに特徴のある旋律の扱い等は後の作曲家達に多大な影響を与えた。

中でも、微細な動機を『モットー』として取り上げ、楽曲全体に関連性を持たせる手法は、ワーグナーのライトモティーフやフランクの循環形式に受け継がれ、発展していった。

本日演奏される5つの民謡風小品は1849年の作品で、若干の精神的不安定さはあるものの、公私ともに順風満帆であった時期の作品である。

そんな雰囲気を反映してか、シューマンの作品の中では1、2を争うほどわかりやすくリラックスした作品になっている。

楽曲は5つの小品で構成されているが各曲に有機的、動機的な関係は無い。しかし、各曲毎の性格の書き分けは見事で、小さいながらも中身のギュっと詰まった素晴らしい作品である。

【第1曲:ユーモアを持って。】

ユーモラス、と言うよりはどことなくメランコリックに感じられる音楽。少し重めで引きずったようなリズムが特徴的。

【第2曲:ゆっくりと。】

夕暮れの山々を連想させる、美しく叙情的な音楽。
まるで幼い頃に聴いた子守歌を聴くような懐かしさにあふれている。

【第3曲:速くなく、たっぷりとした音で。】

哀愁あふれるチェロの旋律が美しい。たっぷりと歌うチェロに対して、ピアノの細かく切り込んでいく伴奏が特徴的。
中間部のチェロの重音によるメロディやピアノの幻想的なアルペジオ等、聴き所がたっぷりとつまった楽曲である。

【第4曲:速すぎぬように。】

まさにシューマン的と呼ぶに相応しい美しくドラマティックな音楽。息の長い旋律と、控えめながらも幅広い世界を演出するピアノの対比がとても鮮やかな素晴らしい楽曲。

【第5曲:力強く、表情豊かに。】

冒頭のチェロによる力強い旋律が印象的に耳に残る。ピアノとチェロの緊張感溢れるスリリングなやりとりがシューマンらしい。激しい感情の渦に飲み込まれるように唐突に終わる、組曲全体の終曲としては少々不思議な楽曲。

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