マンツーマンのレッスン以外でも実際に諸先生方から学んだ事は多々あった。

特に演奏家としての背中で教えて頂いた事、瞼に焼き付けた事は、大切な大切な教え、宝物である。

その昔、私が音楽大学に行きたいと思いはじめた頃、日本の音楽界の第一線で活躍する方々のプロフィールを見、誇らしげに書いてある『斎藤秀雄氏に師事』という一文に憧れを持っていた事がある。

チェロ奏者、指揮者であり、偉大な教育者であった斎藤秀雄氏は、あらゆる楽器の生徒を教え、沢山の俊英を輩出したが、楽器演奏の分業化が進んだ現在で(現在でもばよりんとびよら両方を器用にこなす人のように、一昔前、あるいはもっと昔は一人で何個の楽器も演奏していた。らしい。)、この事は(斎藤先生が自分の専門以外の楽器の生徒も教えた事)奇跡と言ってよいくらいである。

因みにヨーロッパでオザワとツツミの先生は同一人物だと言って、斎藤先生の事を話すと結構皆驚いていた。

今、私自身誇りと師への感謝の気持ちを持って、諸先生方に師事したと、私の自慢の師の名前を経歴に記載している。(先生方にとっては迷惑な可能性大)

お三方共に演奏家とし超一流、世界を股にかける活動をなさっているが、私が師事した当時、シュバヴ先生は第一線を引いていて、教育者として活動なさっていた。(それでも日々の練習は怠らず、お手本は本当に官能的でロマンティックで素晴らしかった)

バルトロメイ先生は改めて説明する事もないくらい、ウィーンフィルを中心に、ソロに室内楽に忙しい演奏活動をなさっていた。

滞欧中、大小様々な先生の演奏会を聴くチャンスがあったが、その全てが私の良い勉強、お手本になった。(時々、音楽祭等で非常に高名、多忙な方が集まり連日日替わりの演奏で、他の方が落ちようがアンサンブルに綻びがでようが先生は常に完璧に演奏なさっていた)

だが、演奏家としての姿、背中を一番身近に見る事が出来たのは、やはり毛利先生だと思う。

その中でも、忘れられない事を一つ。

あれは桐朋を卒業してすぐ位だったと思う。

毛利先生が首席を務めていらっしゃる読響にエキストラでのる為に、楽譜を取りに行った時の出来事で、その日読響はサントリーホールで本番。

私はオケの事務局の方にゲネプロは5時からだから、4時半に楽譜取りに来てと言われ、時間ピッタリにサントリーホールに着き、楽屋口から入り、舞台袖に行く為に階段を昇っていた。

時間どうりと思いながら昇っていると、その日のメイン曲、ツァラトゥストラかく語りきの佳境の部分が一糸乱れぬアンサンブルで突然聞こえ出した。

驚いて時計を見直したが4時半ちょっと前!

だが、明らかに聞こえてくる音はオケの全奏。

大音量で、弦管打楽器全てで演奏している。

ギョッとした。。。

ゲネプロ開始の30分前、で4時半て言われたのに、、、きっとテレビカメラの入る日で3時半からだったんだ。。。

やだなぁ・・・ゲネプロ30分前って言っただろ、と怒られるかなぁなどと思いながら重い気持ちで、でも4時半て言ったんだけどなぁと思いつつ階段を歩いた。(当時読響のゲネプロは通常5時から、テレビカメラが入る時だけカメリハの為、3時半からであった)

階段を昇っている間も、ツァラトゥストラはどんどん大音量になっていく。。。

重~い気分で階段を昇りきってヒョイと舞台袖を見ると・・・

毛利先生が一人で練習しているだけだった。

心底おったまげた。

毛利先生が一人でチェロパート練習しているだけの音が、私にはオケ全部の音に聞こえていたのだ!!

ちょうどその年、リヒャルトシュトラウスのメモリアルイヤーで、たまたま私も直前、

よそでツァラトゥストラを弾いたばかりだったからかもしれない。

だが、毛利先生の音から、私の耳にはばよりんもラッパも打楽器も全部の音が聞こえていた。

この出来事は私にとってかなり考えさせられた。

全てを解って弾いているとこう聞こえるものなのか!

以来、練習するたびに、それがたとえ8分音符の同じ音の連続でも、毛利先生が一人でカルテットの刻みを練習したら、きっとカルテット全員で演奏しているように聞こえるんだろうな、と思いながらさらっている。

毛利先生がベートーヴェンのチェロソナタを一人で練習していても、ピアノの音が聞こえてくるんだろうな、私もそういう風な音が出したいな、と思いながら一人でさらっている。

後日、この話、私が先生が一人で練習しているのを、オケの全奏だと思った事を先生に話したら、なんかメチャクチャとても喜んでいた。

私はこの体験、先生が背中で教えて下さった事を心の石に刻んで常に心掛けている。

目指す音の実現には・・・程遠い(泣) 刻み、やればやる程難しいです。。。

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