旧チェコスロヴァキア出身の女流チェリスト、ミカエラ フカチョヴァは、ブルノ音楽院、プラハ芸術アカデミーを経て(因みにここでオーケストラアンサンブル金沢首席のカンタ氏と同門で、共に学んでいる)、デンマークの王立音楽院で名教師、ベンクトソンに学んだ。
この間、チャイコフスキーコンクール、プラハの春コンクール等に入賞。1990年代前半には何度か来日し、N響と共演している。
私がフカチョヴァの名前を初めて聞き、演奏を聴いたのはラジオだった。
チャイコフスキーの奇想的小品を熱演していたのが彼女であった。その演奏は情熱に溢れ、気持が激しく揺さぶられ、以来、私のお気に入りチェリストである。
CDも沢山でているが、フランクのソナタ、エルガーのコンチェルト、チャイコフスキーの奇想的小品(2回録音していてオケと弾いている方)、ファリャの6つのスペイン民謡は名演だと思う。
おそらく、この中で、フランクのソナタだけ、違う楽器を弾いていると思われる。他のCDでは少々暗めながら、太くボディーのしっかりした貴腐ワインの様な音をだしているが、フランクではとにかく明るく若々しい音を出している。
私は良いと思うのだが、フランクでは音の賛否、好みが割れるかもしれない。
余談になるが、一流の演奏家は大体自分にしかない魅力ある音を持っているものだが、楽器の持つ音もやはり、多少は影響するようである。
私は色々マスタークラスに参加したが、その時先生方に、”私の楽器がどの位鳴るか聴きたいので、私の楽器弾いてみてもらえませんか?”とお願いしてきた。
その中で、岩崎洸、ゲリンガス、カンギーサー諸氏が、ご自分が普段使ってる楽器と全く同じ音を私の楽器からも出していらした。
おそらくこの先生方は明確な自分の音、自分の音の出し方を確立していらっしゃるのだと思う。
因みにその時、岩崎先生から先生のストラド弾いてごらんと言われ、私がストラドを弾いたのだが、私が弾いても素晴らしく良い音がした。
私みたいなへっぽこチェリストが弾いてもスンバらしい音がするのだから、岩崎先生のストラドは本当に銘器なのだろう。
フカチョヴァの話に戻るが、彼女の音のキャラクターを決定ずけているのがヴィヴラートで、柔らかい輪郭ながら激しい情熱的なヴィヴラートは、曲に対する深い感情移入、一途な印象を与え、聞く人に迫ってくる。
弦楽器の場合、音楽を作るのは右手だ、いや左である、と意見が分かれるのだが(結局両方大事)、私自身は左と習ってきた。
弦楽器は木の胴体に弦が張ってあるわけだが、弦に触れている箇所は弓の毛と左手指先で、自分の体で直接弦の振動に触れてるのは、左の指先だけなのである。
楽器を操ることに慣れてきて、弦を押さえる力加減が解ってきた頃からヴィヴラートがかかるようになってきて、演奏中左の手のひらに空気があたってるのが感じれるようになった辺りから(手の平で空気を感じれる位脱力してなければならず、またその位の押える力で十分なのだ)、ヴィヴラートが自在に操れるようになる。
押さえすぎては駄目で、指先で弦の振動を感じれなければいけない。と私ではなく私の諸先生方が言ってました。(これは私が言ったのではなくお師匠さま方がおっしゃってきた事なので、私に「音楽は右手で作るものだ」という反論、「私の先生は右手と言ってますが?」等の質問はしないで下さい。「音楽は右手で作る」と言うチェリスト、先生にも沢山出会いました。その方々が素晴らしい音、演奏しているのも承知です。奏法に関する考えは、おそらく先生の数だけ、チェリストの数だけあるはずです。あくまで私がどう習ってきたか、そして、私が恩師の教えを正しいと思い実践している、それだけのことです。あしからず。)
情熱溢れるヴィヴラートをふんだんに使用するフカチョヴァの演奏は、様式感や作曲家が込めたメッセージより、 自分がどのように音楽を感じているか、このように演奏したいという、演奏者自身のメッセージが沢山伝わってくる。
N響とハイドンのコンチェルトを弾く時、私は「えっ?フカチョヴァがハイドン弾くの?」と少々驚いた。録音もロマン派に偏っている彼女が、古典の曲を行儀良く、エレガントに演奏するなど想像できなかったのだ。
実際、演奏は情熱に溢れたロマンティックな熱演で(とても古典に聴こえなかった)、感情移入深く、フカチョヴァの解釈、斬新なアイデアは伝わってきたが、荒も目立ってしまった。
長所も短所も前面にだしながらの演奏は、自身が持っているものすべてを出し切りたい、自分の思いをすべて伝えたい、という強い思いに感じられ、聴く人(主に私)の胸を打った。
が、この時の演奏、目立つ傷があれ位あると、賛否は割れただろう。特に日本では。。。
最近、全くフカチョヴァの名前を聴かなくなってしまったが、情熱溢れる演奏、情緒たっぷりなヴィヴラートは、学生時代の私の目標であり、CDを聴く度、彼女の音を聞くたび、ヴィヴラートが上手くかからずにそれの習得を目指していた学生時代を思い出す。
私の青春時代に追い求めた音である。
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