先日、旅先、外国でハプニングがあった。
楽器にトラブルがおこったのだ。
その日、いつも通り楽器をケースからだしたら、弦がすべてきれいに半音下がっていた。
へ~、こんな事もあるのか・・・と思いつつ調弦し、弾き始めると左手に何か違和感を感じる。
そして、音階を弾いて、ようやくその時楽器に何が起きたか気付いた。
ネックが下がってしまったのだ!!
ゲッ!この手の話は、話には聞いていたが・・・まさか自分の楽器におこるなんて・・・
しかも旅先、外国・・・帰国予定日は3日後。。。
弦楽器、チェロやばよりんに何か不具合があった場合、通常は専門の楽器屋さんに持って行き、修理してもらう他に手は無い。
よく、小さい子供に楽器を習わせてる親御さんで、楽器の知識がまったく無い為、割れた所に木工用ボンドを塗って接着してしまい、楽器をオジャンにしてしまったなんて話を聞いたりするが、弦楽器の修理は専門家の手にゆだねるしかない。
詳しい説明は割愛するが、チェロやばよりんの修理は本当に簡単な応急処置以外、素人には不可能なのだ。
びよらは・・・こちらを参照してください。私は即座に懇意にしている楽器職人、ヴンダーリッヒ氏に連絡した。
私の見立てでは、運が良ければ応急処置で2~3時間、運が悪けりゃ大修理で最低2週間。
ざっと状況を説明し、とにかく見てみないと分からないという言葉に、私は電車にのってベルリンから5時間南下し、マルクノイキルヒェンという町に向かった。
マルクノイキルヒェンは旧東ドイツ、バイエルンとの州境に位置する街で、昔からイタリアのクレモナ、旧西ドイツのミッテンヴァルトと並ぶ、ヨーロッパ有数の弦楽器製作家の街である。
また、マルクノイキルヒェンは、弓製作もとても有名で、フレッチナー、ニュルンベルガー等の有名な弓製作一家は、この街で活動している。
私はシュヴァブ氏に師事していたころ、師の運転する車に乗せてもらい、何度かこの街を訪れ、有名な工房に連れて行ってもらったりした。
だが、一人で来るのは初めてである。
先生に連れて来てもらった時は、高速を降りた所で必ずソーセージを買ってもらって一緒に食べたなぁ、などと、懐かしさも感じたが、楽器が無事直るか、直ぐに修理できるかで頭はいっぱいだった。
無事、マルクノイキルヒェンの楽器職人、ヴンダーリッヒ氏宅に着き、挨拶もそこそこに楽器を見せると、クラウス、エールフェルドのヴンダーリッヒ親子は表情が厳しくなった。
状況は悪そうである。
2人がかりで楽器を見、下された診断は、家にある売り物のチェロで、どれでも好きなの持って行っていいから、今回この楽器を預けていけ、という事だった。
どうしてもそれは出来ない、そして今日明日では修理不可能というのも困る。
明日までにどうしても直してもらわないと困るんだ、助けてくれ、とせがむ私。
無茶苦茶な客、友人である。(クラウスとはファーストネームで呼び合っています)
クラウスは、恩師シュヴァブ氏に電話をし、状況を説明した後、なんとかやってみると言い、修理を引き受けてくれた。
感謝!
通常だと10日、余裕をみて2週間は取るところを1泊2日で修理しろというのだから、無理難題である。
私にポッパーのエチュード1泊2日で弾けるようにしろというようなものである(1年でも無理)。
責任を感じた私は、修理に立会い、手伝えることがあったら手伝う、と申し出た。驚き、それを止めたのはパパ ヴンダーリッヒ氏だった。
”えっ?修理見るの?自分の楽器が削られたりするの見るのは、、、心が痛むぞ!”
なんのなんの、出産に立ち会うようなもの、見届けて手伝うと決めた私は、工房に残った。
そして、私はパパの予言通り本当に心が痛み、涙が溢れてしまった。
私の大切な相棒、もはや私の体の一部である楽器がトンカチ叩れたり、、、ナイフがグサッと刺さったり、、、カンナで削られたり。。。
我が身を削られて臓器を取り出し売買しているような気分だった。。。
削りカスを手に取ったら、本当に泣けてきた。
鰹節みたいになってしまったこの一片も、音の一部を構成していてくれたのかと思うと、、、
この楽器の大手術は、もし私が盲腸になっても私の体を切るな!泣くぞ!薬で直してくれ!と医者に頼もうと、私のお腹に付いている私の体の一部となった大量の脂肪を削ることも止めようと、虫歯になっても私の体の一部である歯ちゃんは誰にも削らせないぞ!と決心させてくれる事となった。
その晩、上の写真までの作業を見届けると、私はクラウスの紹介してくれた宿に行き、食欲が無いながらも、夕食を食べ、翌朝4時45分起床に備え、寝た。
翌朝、6時から作業開始というクラウスを手伝うため(前日私は照明係をやっていた)、5時に宿を出、昨晩教えてもらったパン屋で朝食を摂り、6時に工房に着くべく、満点の星空の下、マルクノイキルヒェンの街を歩き出した。
そして迷子になった。
あたりは暗闇である。
まっすぐ行って左に曲がって右、で途中のパン屋で朝飯、こんな簡単なお遣いの真似事みたいなことも出来ないのか!そんな事では小学生にはなれないぞ!と自分を奮い立たせて歩いてみたが、一向にパン屋が見つからない。。。
私は鼻に頼ることにした。鼻をヒクヒクさせ、パンの匂いを嗅ぎ取ろうとしたが、一向に感じられない。
そんな事では警察犬にはなれないぞ!と自分を叱咤し、パン屋を探すこと20分、パン屋は休みだった。
がっくりしながら大通りを見つけ、工房に着くと、電気がついている。もう作業しているのだ。
工房に入り更に驚いた。
作業がかなり進んでいたのだ。
話を聞いたら、夜中も作業を続けていたそうだ。さすがドイツ人、引き受けた事は責任持って行なう。
彼らがJaといったらそれは安心確実、信用第一、出前迅速、心配無用、満員御礼、明朗会計、九州男児、四面楚歌、毛利伯郎、信頼してよいのだ。
結局、タイムリミットはその日の4時だったのだが、お昼過ぎにはほぼ終わって、私の相棒は健康な状態になり、午後、私は治療を終えた相棒を喜びと感謝の気持ちいっぱいで弾いていた。
”元気になったチェロを見たら、昨日の涙の事を忘れたみたいだな!”と満点の笑顔のパパ ヴンダーリッヒ氏。
日本で修理に出す場合、通常は楽器を預け、代わりの楽器を借り、修理が終わると受け取りに行くのが普通で、実際修理現場をずーっと見たのは、私は今回が初めてだった。
自分の楽器が叩かれたりしているのを見届けるのは、私には辛い事であった。
実際、何度か”もっと丁寧にやらんかい!”とか”ガンガンやるなー!”と叫びそうになってしまった。
今回の大手術、痛みを相棒と2人で耐えたような気がし、私は今まで以上に相棒に愛着を感じている。
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