2009年9月、私の敬愛する恩師アリシア・デ・ラローチャ先生が86歳で召された。
上の写真は、ラローチャ先生のCDに頂いたサインになります。
このサインには、『私の事を考えずに、音楽の事を考えなさい!』という言葉が添えられていました。
ラローチャ先生に憧れていた私は、いつも『ラローチャ先生ならどう弾くだろうか?』と先生の様に弾く事を目標にしていましたが、そんな私へラローチャ先生からの『私の真似をするのではなく、音楽の事を考えなさい!』という大切な教えになります。
ラローチャ先生追悼
私は2003―2004 の1年間、バルセロナでラローチャ先生に師事しました。
コンサートや写真で見る様子では、温かい人柄、といったイメージがありましたが、実際は、音楽に対して大変厳しい姿勢で取り組んでいらっしゃる、孤高な芸術家でした。
話すより、ピアノを弾いた方がより多くを語れる、ピアニストです。
ピアノの女王と称えられましたが、何よりも音楽を愛し、いつも音楽の事を考えていらっしゃる職人的な方でした。
レッスンの後、道路を一緒に歩きながら「今、頭の中にここのフレーズがあるわ。」といって、私がたった今、レッスンで弾いたシューマンの1フレーズを歌っていらっしゃいました。
またある時は、私の在籍していた音楽院で練習なさっているのが聴こえたのですが、練習していたのはショパンの「革命のエチュード」でした。
引退後の82歳になっても、エチュードを朝一番に何度も練習しておられる姿には驚きました。
そして、ピアニストはこの様にあるべきなのかと考えさせられました。
ラローチャに師事中、私はバルセロナでリサイタルも経験いたしました。
これは私にとって初めてのリサイタルだったため、たくさんの曲を用意するのに必死でした。
それに加えて、レッスンでは細かいことを厳しく注意され続け、大変でした。
コンサート後の打ち上げで「今日のコンサートは、私にとって初めてのリサイタルでした。」と言ったところ、ラローチャ先生は、少し驚いた様子で「あら、そうっだたの。おめでとう。」とおっしゃりました。
リサイタルは、彼女にとって、普段どおりのこと、特別なことではなかったのでしょう。
バルセロナでの勉強が終わった後でも、お便りを頂き、「練習、練習、さらに練習しなさい」と書かれており、音楽を追求していく姿勢の大切さを教えていただきました。
ラローチャ先生からの贈り物
上の写真は、バルセロナでのリサイタルの後にラローチャ先生から頂いた五線紙になります。
『スペイン、カタロニアでの最初の大切なリサイタルの記念に!』というメッセージを添えて頂きました。
Be Happy!
私の恩師、アリシア・デ・ラローチャはピアノの女王と呼ばれ、世界中で活躍するピアニストだった。
15歳のとき、初めて彼女のリサイタルを聴いた。
その演奏会は素晴らしく、感動していたのだが、アンコールが終わったとたん、予想していないことが起きた。
身体は震え、涙が溢れ出てきて止まらない。
「あぁ、コンサートが終わってしまった。彼女の音楽と別れたくない。演奏会が終わって欲しくない。」
サインをもらうため、楽屋へ行くと彼女は、泣き顔の私を見て、サインの上に『Be Happy』と書いてくれた。
感激で涙していた私が、そんなに悲しそうに見えたのだろうか。
それから8年後、バルセロナの彼女の元で勉強することになった。
世界で一番尊敬する偉大な芸術家に習えたということは、私にとって大きな宝物だった。
ある朝、レッスンを受けに学校へ行ったら、誰かが練習曲を弾いており、それがとても魅力的だったので誰が弾いているのだろうと思ったら、それはラローチャだった。
当時、すでに引退していたにもかかわらず、ひたむきにピアノに向かう姿に尊敬の念を抱かずにはいられない。
音楽を愛し、厳しく追求する強い女性として、今も私の中で生き続けている。
ラローチャ先生の名盤
上の写真は、ラローチャ先生の名盤、アルベニスのイベリア組曲のサイン入りCDになります。
因みに、ラローチャ先生にサインを貰ったのは、後に私の人生のパートナーとなるチェロの佐藤智孝。
佐藤がウィーン留学中(私は未だ桐朋の学生だった頃)、ラローチャ先生の伴奏(オケ)でベートーヴェンのコンチェルトの1番を弾く機会が有り、リハーサル後に楽屋に行ってサインして貰ったの事。
それ故、宛名が『to TOMO!』となっています。
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